つれづれ

本物とは、なにか。

私は会話の中でよく、「あの人は本物だ」と言っているらしい。
全く無自覚であった。

あるとき、
「ところで、あなたのよく言う“本物の人”って、どういう人のことなの?」
と訊かれて、ハタと考えた。

本物かどうかなんてものは、
勝手に感じとれちゃうものでしょ
が、そのときの私の答えだったからだ。

だが、言語化してみようと
しばしあちこち散歩しながら考え、
辿り着いたのが、「根の深さ」である。

本物の人には、
深く広く張った「根」がある。

それは、何かに対して
真摯に向き合った時間によって育まれ、
存在するものである。

樹々のそばに立ち、幹に触れれば、
根の深さは感じ取れるように、

その人のそばにいて、その人の言葉や声に触れれば
伝わるものがある。

そして、そう言う人は自分の根について
決して自慢げに語ったりはしない。

今、便利な時代となり、
時間をかけずともできることが多くなった。

職人が時間をかけてこれまで作り上げてきたものも
最新の3Dプリンターを使えば、一瞬でできたりする。

しかし、見た目はほぼ同じであっても、どこか違うと
人間は感じとれるものではないだろうか。

また、どれだけ豊富な知識を持っていようとも
口先だけの人と、手を動かしてきた人の違いは
すぐにわかるものである。


ちゃんと発する「気」があるのだ。

今、TVで若いコメンテーターが物知り顔で
年配のアナウンサーにどこか偉そうにモノ言う様子をみて
ちょっと毒づきたくなった。

そして、自分のことはすっかり棚上げしていることに
ついては、どうか目を瞑っていただきたい^^

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