投稿者: mayumi

  • 品は、正直さに宿る。

    品は、正直さに宿る。

    「品」は、地位やお金、学歴とは関係ない、
    というのは誰もが感じていることです。

    では、何を持って人は「あの人は品がある」と感じるのか。
    そこがなかなか言語化できずにいました。

    ここまで生きてきて、さまざまな人生に触れ、
    ようやく辿り着いたのは
    「品は、正直さに宿る」というものです。

    報われなくとも、愚直にこれと信じるものを
    続けてきた人には品が宿ります。
    職人と呼ばれる人に、品を感じるのはその一例でしょう。
    絵描き、作家、と呼ばれる人たちも、
    信念をまげずに作品に向き合っていらっしゃるときは
    本人にはわからない何かを放っています。
    そして、売れるようになって、何か別の要素に翻弄されるようになると
    放っていたものがわかってしまう、ということは多々あります。

    当然のことながら、報われること、売れないことが重要ではなく
    伝えたいのは、装いや立場に、品は関係ないということです。

    自分に正直であること、
    他人に対して、意図して欺くことをしない。
    それが、品を宿すことになる。

    さらに、「上品」となると、ここに違う要素がプラスα必要となってきます。
    それは教養です。

    その筆頭は、美しくお食事をいただけること。
    その次は、美しい言葉づかい。
    そして、なにか深く語れるものを1つ持っていること。

    そう、私は思うのですが、いかがでしょう。

     

  • 言葉の重みと「聞思修」

    言葉の重みと「聞思修」

    自分の言葉がふわふわとしている気がして、
    30代、40代はうまく話せませんでした。
    どう話せば伝わるのか、というノウハウ的なことではなく、
    自分の言葉に重力のようなものが
    徹底的に欠けているように思っていたのです。

     

    ただ「書く」という作業は「話す」ことと違い、
    なんども推敲でき、借り物であっても
    「重り」のようなものを後付けすることが可能で、
    私にとっては自分を表現するのにありがたい手法でした。

     

    そして、誰かをインタビューする度、
    感じていたことがあります。

    「どうしてこの人の言葉には重みがあり、
    どうしてこの人の言葉は軽く聞こえるのか?」と。

    それは、ずっと「体験と思索の深さの差」だろうと思っていました。
    例えば、わかりやすい例を挙げると、

    「戦争は絶対にいけない」という言葉を発する時、
    戦争体験者と体験をしていない人では、
    当然、伝わってくるものが違ってきます。

    ただ、同じ体験者であっても
    響いてくるものが違うことは多々あります。

    「その差は、何か?」

    そんなことを考え続けていたときに出逢ったのが、
    「聞思修(もんししゅう)」という言葉でした。これは仏教用語です。

     

    聞いて、よく考えて、心に馴じませていきなさい。
    というものです。

     

    もう少し詳しく説明すると、
    誰かから素晴らしいお話を聞いたり、
    何かを教えていただとします。

    多くの場合は、「いいお話が聞けてよかった」
    ぐらいで終わってしまいます。
    ですが、大事なことは、
    「伺ったその話は本当にそうなのか」
    「自分はそのことに本当に納得しているのか」
    とよくよく考えることです。

    それが、「思」(し)になります。

    釈尊自身も「私が言ったことだから、を理由に、
    決して鵜呑みにしてはならない。
    それが正しいかどうかよく自分で考え、
    もし、本当に納得したのなら、それを何度も、
    何度も思い起こし、心に馴染ませていきなさい」
    とおっしゃっています。

     

    立派な肩書きに弱い日本人は、
    この「思」が特に足りないように思います。

    かくいう私こそ、仕事柄そういう方達のお話を
    聞く機会が多かった分、「思」が欠けたまま、
    いつも耳障り良い言葉、インパクトあるメッセージを、
    まるで自分が考えたことのように話していた気がします。

    だから、自分自身の発する言葉に自信がもてなかったのだと、
    今ならよくわかります。

     

    そして、さらに大事なのが「修」(しゅう)です。
    よくよく考えて納得したことを、
    何度も思い起こして心に馴染ませていきなさい、というものです。

     

    この3番目にまで到達した人の言葉には、
    ブレがなく、重みが生じます。

    聞思修の積み重ねが、その人の「軸」をつくる、とも言えます。
    不安ばかりが広がる昨今、
    聞思修を心がけることの重要性を強く感じています。

    自戒を込めて。

  • 致知出版社 WEBメディアにて記事を掲載いただきました

    致知出版社 WEBメディアにて記事を掲載いただきました

    月刊『致知』を出版する致知出版社のWEBメディア「WEB chichi」内の特集、『戦後80年 わたしたちの記憶の記事一覧』にて、稲垣麻由美の寄稿した記事を再掲載いただきました。

    本記事は、2016年4月に月刊『致知』2016年4月号 連載「致知随想」にて稲垣が寄稿させていただいた物です。

    記事はこちらからご覧いただけます。

    戦争と115通の恋文、いま伝えたい願い
    https://www.chichi.co.jp/web/20200806_75years_later_01/

    是非、ご覧ください。