今制作している『神迎え』は、2022年7月23日、焼火神社の例大祭で奉納された隠岐島前神楽の一夜を描いたものです。
こちらは、構成を考える際の試作版の一部です。
「扇と榊を手に社家が舞い
巫女が鈴を高らかに振り鳴らし
くるりくるりと舞う。
神の道は色々あるけれど、
真ん中の道は神に通じている。」
神の道はいろいろあるけれど、
真ん中の道は神に通じている。
この一節は、松浦宮司から教えていただいた神楽歌の中にあるものです。
心惹かれ、この本の中でご紹介したいと、最初に書き留めておいた2行です。
そもそも神楽の目的は、これより神に近づき、神の意向を伺う、ということにありました。
今では、神楽の芸能面や娯楽性にスポットが当たることが多いようですが、島根県隠岐諸島 西之島で体験した、あのお神楽は、その原点を色濃く感じられるものでした。
こちらの写真は巫女(神子)舞です。
隠岐島前神楽では、終始、巫女が重要な司役をつとめます。これは全国的にも極めて少ないことだそうです。明治初頭に禁止された『注連行事(しめぎょうじ)』では、巫女が神名帳を読みあげて神勧請(かみかんじょう)を行い、最後に神懸かりとなって神託を述べていた、と資料にありました。
「そういったことは、なんら不思議ではない」
あの夜、私はあの空気感の中で、そう感じたのでした。
現在、島前神楽は島前地区の有志の方が集まって保存会組織として伝承されています。昭和40年頃までは、保存会組織ではなく、社家(しゃけ)と呼ばれる神楽を専業とする特別な家系により、家伝秘伝として継承されていたそうです。
かつて、社家は島後(隠岐島)に13家、島前(西ノ島・中ノ島・知夫里の3島) には5家あったそうです。いかに神楽というものがこの地域で重要なものであったかがわかります。それは、神楽が神社の祭礼に奉納するものではなく、海に囲まれた離島ならではの厳しい環境の中で、祈祷のための神楽であったこととも関係しているのではないでしょうか。
水野竜生先生にかかると、演者の皆様が、なんともキュートになります。
ちなみに隠岐島前神楽があるということは、島後神楽も当然あります。私は島前神楽しか拝見していないのですが、その芸風には大きな違いがあるそうです。
隠岐島前神楽ではアップテンポの賑やかな囃子に、舞い手が約4畳の舞台中央や船上で舞います。その一方、島後神楽はゆったりとしたテンポの囃子に、舞い手が舞台中央にある約2畳の狭い板張りの上で舞うのだそうです。
また、島根県の神楽といえば、石見神楽が有名ですが、こちらはまた全く違う趣きです。哀愁を帯びた囃子に豪華絢爛な衣裳を身にまとい演舞されます。
信仰的要素が残るものと、芸能的要素が拡張されて伝承されてきたもの。同じ「神楽」と言っても、少し離れたエリアでも大きく違うのですから、興味はつきません。
最後に、本の中にいれた神楽歌の中の一節をもう一つご紹介させていただきます。
東を拝めば神が降りる。
諸々の神も花の様に美しく見える。
南を拝めば神が降りる。
諸々の神も花の様に美しく見える。
西を拝めば神が降りる。
諸々の神も花の様に美しく見える。
北を拝めば神が降りる。
諸々の神も花の様に美しく見える。
いつの時代に、誰が綴ったかもわからぬこの言葉に、
どうしようもなく惹かれ、魅せられます。
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Japan Craft Book プロジェクト
代表 稲垣麻由美
ーつづくー
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