「たった1枚の絵が、誰かの人生を変えることがある」
なんて書くと、随分大げさなようですが、実際にそんなことが我が身に起こりました。
前号で触れた画家の水野竜生先生が描かれた焼火神社の10メートル作品を見て、
いえ、厳密にお伝えすると、その作品をデザイナーの谷さやさんがブックレットにされたものを拝見して、
「とにかく、隠岐島へ行かねば」と私は思ったのです。なにせ、そこに神様を感じたのですから。
https://www.sakuranoki.co.jp/mizuno_ryusei/124
ただ、その頃はコロナが深刻で隠岐島に行ってよいものかかなり迷いました。
そして移動時間も長い。羽田空港からまずは米子鬼太郎空港へ。
そこから電車で境港へ移動し、隠岐汽船(フェリー)に乗って約3時間。乗り継ぎや待ち時間を加えると、行くだけでほぼ1日かかります。
ある東京在住の方が「飛行機でニューヨークへ行くより隠岐は遠く感じるよ」などとおっしゃっていましたが、少しわかる気もします。
でも、恋と同じで障害と距離があるほど思いは募るばかり。日々、感染者状況をみながら、
また、谷さんを通して焼火神社の宮司様に連絡を取っていただきながら、
「今なら大丈夫かもしれない」というタイミングを見計らって出発したのです。
ご存知の方も多いかと思いますが、隠岐諸島は島前(西ノ島、中ノ島、知夫里島)と
島後(隠岐の島町)との4島、そして約180の小さな島々から成り立っています。
また、古事記の国造り神話の中では、イザナギとイザナミが淡路島、
四国についで3番目に生んだ「隠伎之三子島(オキノミツゴノシマ)」として登場します。
後鳥羽上皇や後醍醐天皇が流された地でもあり、独自の文化も花開きました。
現在放映中のNHK大河ドラマの「鎌倉殿の13人」でも、間もなく隠岐島が描かれるはずです。
さて、前置きが長くなりましたが・・・
私が目指すのは一点、焼火(たくひ)神社です。
焼火神社は島前の西ノ島にある最高峰、焼火山(海抜452m)の8合目辺りにあります。
それがまた港から遠く、レンタカーを借りても途中の道が細かったり、カーブがきつかったりで、
気軽に立ち寄れる感じではありません(慣れればそんなことはないのでしょうけれど)。
当然、行く前には色々調べたわけですが、観光ガイドにはなぜか焼火神社がほとんど出てこないその理由を、実際に行ってみて納得しました。
ここへ行くぞ、ここにお参りするぞ、という気合とご縁があってこそたどり着ける場所なのです。
一人でふらりと行ってはあの景色を見ること、あの場に立つことができなかったと思います。
それこそ現在は、整備された道を途中まで車で行けるわけですが(駐車場からさらに山道を15分ほど歩いて登り、ようやく社殿、社務所に到着します)、昔は旧正月の年篭りの時には1000人ほどの参詣人が広い社務所で過ごしていたそうです。
さらに江戸時代には、幕府の監察役である巡見使が400人以上の家来を率いて参拝したという記録も残っているというのですから驚きです。
当時、隠岐島は北前船の要所であり、焼火神社は海上安全の神として崇められ、遠く三陸海岸に至るまで人々の信仰を集めていたそうです。
・・・うっ、今回、焼火神社の麓までのお話となってしまいました。
続きを来週も読んでやってください。
Japan Craft Bookプロジェクト
代表 稲垣麻由美
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