『しばし一人の時間をいただき、静寂の中に身を置いているうちに、私は突然、はらはらと涙を流して泣き出したのです。いったい自分に何が起きたのか、すぐにはわかりませんでした。』
その泣き出した私は、私のようで、私ではない。そんな体験でした。
現世の稲垣麻由美という人生を生きている人間が涙を流しているというより、
知らない過去の魂が反応している、いや、呼応しているものがある、と説明した方が自分としては納得できます。
そして、自然と「ありがとうございます」と呟いていたのです。
あの呟いた人は、遠い昔、焼火権現さまに助けられたことがあったのかもしれません。
実は以前にも同様の体験をしたことがあります。
それは2015年に『戦地で生きる支えとなった115通の恋文』(扶桑社)を上梓したときのことです。刷り上がったばかりの本を靖国神社に奉納したとき、同じように涙が溢れて仕方ないということがありました。
この本は、戦時下に交わされたある夫婦の恋文を軸にしながら、南方戦線の現実を伝えるべく書き上げたものです。遺骨すら戻らぬ人々の声なき声を届けたい、その一心で6年半の取材期間を経て形にしたのですが、靖国神社で涙を流した私は、私自身が泣いているというより、この本とともにある英霊が涙しておられる、そんな感覚でした。
こんなことを書くと、変わった人、何をおかしなことを、と笑われてしまうかもしれません。
ただ、こんな感覚こそ、今、とても大事な気がしています。突き動かされることには必ずなんらかの目に見えぬ存在の意図があり、それを無視してはいけない、と確信しています。そして、「そんなこともあるよね」と捉えてくださる方が少しずつ増えているようにも感じています。
こちらは現在の社務所の1階。島の人たちが今も大切にしている「はつまいり」の際、酒やご馳走とともにここに集う。
そして、私は拝殿を出たあと、社務所にて松浦宮司にお茶を点てていただきながら、正式に「焼火神社の本を和紙で作らせていただきたい」と伝えました。
すると宮司は、「今年はおそらく4年ぶりに例大祭を開催できると思います。7月23日です。そのときにお神楽がありますよ」とだけおっしゃったのです。私はその場で「はい、来ます。必ず参ります」とだけ答えて、焼火神社をあとにしたのでした。
以前は、この城を思わせる広大な石垣の上に社務所が建てられていた。江戸時代には幕府から派遣される巡見使が400人以上の家来を率いて参拝した記録も残っている。いかにこの焼火神社(焼火山雲上寺)が広く信仰されていたかがわかる。
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【本作りの進捗状況1】
「なぜ、焼火神社の本を作ることになったのか」を過去に遡りお伝えしておりますが、
本作りの進捗状況も少し報告させてください。
現在、すでに水野竜生先生の絵が完成し、稲垣は文章を書き上げ、デザイナーの谷さやさんに素材を渡して託している段階です。信頼できる人に大切なものを預け、楽しみに待つ、という幸せとドキドキを体感中であります。
ちなみに今回の本『焼火神社 ―御神火―』は、島根県浜田市にある西田和紙工房さんの石州和紙を使って制作することが決定しています。Japan Craft Bookプロジェクトの本づくりは、ご紹介する神様が坐す場所の近くで漉かれている紙を使うことに決めています。
また、年明け早々にはJapan Craft BookプロジェクトのHPも公開予定です。このプロジェクトをまずは多くの方に知っていただくこと、一緒に楽しんでいただく方の輪を広げることが重要だと思っております。こちらのメールマガジンを、お知り合いの方へシェアしていただけますと幸いです。引き続き宜しくお願い致します。
もし、何かご意見やアドバイス、ご感想などをいただけるようでしたら、こちらのアドレスまでお願い致します。
Japan Craft Bookプロジェクト
代表 稲垣麻由美
ーつづくー