つれづれ

骨髄移植提供者になり損ねた夏

この夏、少々腑抜けとなった。
年明けに届いた骨髄バンクの封筒からコトは始まる。
なんか今回はやけに分厚いな・・・ぐらいでしばらく放置していたら、
ある日、バンク事務局から電話がかかってきた。

「封書をご覧いただいいておりますでしょうか?
 お返事をいただかないと、待っておられる患者さんが困られます!」
「えっ?」

実は骨髄バンクに登録したのは23年も前のこと。
娘を産んだ福岡の産院で骨髄バンクのことを知った。
(臍帯血バンクでないところがミソだ)
娘を授かったことへの、ご恩返しの気持ちで登録したことを覚えている。

それから、季節ごとに会報誌が送られてくるのだが
一通り目を通してすぐにゴミ箱へ、という歳月が延々と続いたせいで、
私の感覚はすっかり麻痺をし、たくさんの人生ドラマが詰まった会報誌は
デパートの催事案内とさほど変わらないものとなっていた。

電話をいただき、慌てて例の封書を取り出す。
そこには、私がドナー候補に選ばれたこと。これからの流れと手続き、
移植したこれまでの事例、ドナー提供者に起こりうるかもしれない
後遺症の例などが詳細に記されていた。

「ほんとうに、来た!」が、まずは率直な感想。
そして、「ちょっと、びびる」も正直な感想。

どうも痛いそうだし
後遺症もゼロではない、と書いてある。
その分厚い冊子や同意書には、気軽に「イエス」と
サインできない重みがあった。

その夜、家族に聞いてみた。
「骨髄バンクのドナーに適合したと連絡がきたんだけど、どうしよう?
ねえ、どう思う?」

すると、家族全員がほぼ同時に同じことを言った。
「提供したい、と思ったから、あなたは登録してるんでしょ」

誰一人として、「ちょっと心配・・・」などとは言ってくれなかった。
おいおーい。おかげでふっきれた。

その翌日、またコーディーネーターさんからお電話をいただいた。
「お読みいただきましたか?同意していただけますか?
 ご家族はなんとおっしゃっていましたか?」
「はい、家族はみんな賛成してくれました」
「そうでしたか。半分くらいの方がご家族の反対でお話が消えてしまうもの
ですから、安心しました。それでは早速、これからの検査について・・・」

そうか、そういうものか……
そして、つい職業病で、コーディネーターさんに逆質問攻めをしてしまった。
そこでわかったのは、次の情報だ。

・池井戸璃花子さんの影響で現在バンクに登録している提供者は50万人を超えた。(ちなみに、2019年7月で52万人を突破。2007年1月では27万人)

・50万人登録していても、こうして適合者として選ばれるのは患者さん1人に
対して10人にも満たないらしい。

・これまでの非血縁者間移植実施数 は23,000 例強

・ドナーの年齢制限は53歳。

・即、提供者になれるわけではなく、これから血液検査、身体検査、配偶者面談と・・・5回ものハードルをクリアしなくてはなれない。

・患者さんに関する、あらゆる情報は一切、提供者には知らされない。

・我が家の近くの病院での入院は不可で、東京か横浜の病院にこれから通う事になる。入院は3日間。

この封書が届いてから、簡単にはドナーにはなれないことがわかった。
おいおい、大丈夫か?ワタシ。
だが、ここでマゾ的性格が発動する。
50万分の10という数字にスイッチが入る。
私でお役に立てるなら、喜んで!

そして何より、
娘が無事育ったことに、これは恩返しとなる気がしたのだ。

でも実は、それからが大変だった。
仕事を休んでは検査に。23年前とは検査方法も変わっているらしく、
大きな注射3本分の採血をした翌日はフラフラだった。
ある人に、「イメージコンサルという仕事で、その疲れた顔はないでしょ」
と指摘されたのもまさにその日だった。

先ほど大変だった、と書いたけれど、実はプラスの方が大きかった。
検査を一つクリアするたびに、健康な体に恵まれていることを
目にみえるデータとしても認知することとなった。
ありがたい。

そして、少しでも健やかな骨髄を届けたいと思うようになり、
食事により気を使うようになった。
睡眠時間も確保するようになった。
知らない誰かのために、何かをすることは、いつしか 
私の小さな喜びともなっていた。

7月か8月に入院、と決まりかけていたときに
また、骨髄バンクから封書が届いた。今度は薄いものだった。

そこには、とてもシンプルに
「患者さんの都合により、今回の移植のお話は中止となりました」
と書かれていた。

どんな都合なのか。
それは一切、ドナー側には知らされないことになっている。

そして、その手紙が届いてから、私はなんとも腑抜けとなった。
ちゃんと仕事だけはした 。(つもり)
でも、大切な友人との会話をプツンと途中で切られてしまったような、
置いてきぼりにされたような気持ちと猛暑のミックスは、
結構つらい夏となった。

秋風が吹くようになり、いつもの私に戻りつつある。
また、アリのようにせわしなく動き始めた。






 







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