つれづれ

コロナからの啓示

子どもの頃から時代劇が嫌いだった。

どうしてこの狭い日本で殺し合い、奪い合うものが
物語として成立するのかさっぱりわからなかった。

大人になり、領地という概念を理解し、
少しはわかる気がした。

だけど、そこにどんな人情物語、どんな英雄物語があろうとも
こんな狭いところで争う事に対し、
「はぁ??」と思う気持ちはどこか変わらない。

人はどうしても、目の届く範囲のこと
自分の知っていることの少し先しか想像できない生き物だ。

また、さらに大人になり、
地球上で起きているさまざまな国家間での争いについて
学ぶようになり、また、同じことを思った。

同じ星の上に生きるものが、人間が勝手に作った境界線をめぐり
どうしてここまで争うのか。
宗教感の違い、思想の違い、肌の色の違い・・・
それは、命を奪うに値することか?
地球を破壊するに値することか?

いまひとつずっと解せないまま、とうとう50歳をすぎてしまった。
どんなにたくさんの歴史書を読んでも、私にはわからなかった。
地球という同じ星に生きる生き物ではないか・・・と。

もし、地球外生命が地球を侵略する、というようなことがあれば、
地球人はいっきに地球人同士で戦っていることがアホらしくなり、
世界は一瞬で一つになれるのではないか、
とずっと思い続けている。

要はどこを見ているか、なのだ。
近視眼的なところで生きていれば、そこのことが気になる。
宇宙的視野でみれば、人間は、かなり横暴な、
たくさんいる生命体の一つにすぎない。

この度のコロナは、まさに地球外生命がふいにやってきた、
と考えることに近い気がしている。

あなたのところ(国)は大変そうですね。
うちはこうやってますけど、あなたのところは知りませんよ〜
なんて言ってる限り、このコロナは終息しないのではないか。

全地球人が一つとなり、闘う、克服する、というモードではなく
この稀有なる地球という生命体の中で、あらゆる生き物と共存共栄するために
人間がすべきことは何かを真剣に考え、
それを実践していくことでしか、未来はないのではないか、
そう強く思うのである。

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