つれづれ

緑響く。

この場所を初めて知ったのは、確か高校1年生のときだった。

あの頃は、毎日がとにかく憂鬱だった。
いつもイライラしていて、もやもやする。
笑った記憶もあまりない。
楽しかった自分を思い出そうとすると、
部活のあとに食べたアイスクリームのクジが3本連続で当たり、
ゲラゲラと友達と笑った真夏の体育館が蘇るくらいだ。

だから、この場所を描いた1枚の絵と出逢ったとき
どこまでも清澄な世界に強烈に憧れた。
その絵のタイトルが「緑響く」であり、
描いた人は東山魁夷という人で
同じ神戸出身であることを知って
なんだか嬉しく思ったことをよく覚えている。
(なぜか、どこで「緑響く」と出逢ったのか、どうしても思い出せない)

ただ、この場所はずっと架空の場所だと思っていた。
あまりに美しすぎたし、神様のような白馬が絵の中にいて
遠い夢の世界のこととしか思えなかった。

大学生となり、付き合い始めた彼から
「クリスマスに欲しいものは何かある?」
と訊かれ、プレゼントしてもらったのが
東山魁夷の画集だった。
今もその画集は私の手元にある。
表紙はこの「緑響く」で、当時2800円。

世はバブル絶頂期で、ボディコン、ジュリアナという言葉が飛び交って
いる中、こんな真面目くさった(当時はそんな風潮だった)ものを
買って欲しい、と言っても彼は笑わなかった。
その彼が今の夫である。

そして、その画集で、この場所は
長野にある御射鹿池だということを知った。

あれから30年近く経ち、実は、この場所のことも、「緑響く」の絵のことも
あまり思い出すこともなく過ごしていたけれど、
先日、お世話になっている方の絵の展覧会が八ヶ岳であり、
そこに向かう途中で立ち寄ったドライブインで
偶然、御射鹿池がすぐ近くにあることを知った。

迷わず向かうことにする。
車を走らせながら、妙にドキドキする。
16歳の自分が心に半分同居し始めたようだった。

辿りついたそこは、
予想外に観光地として整備されたところだったけれど、
静謐さに満ちていた。

空に向かって真直ぐに伸びた樹々と水面に映る樹々が
まさに緑深く、透明な音が響き合って
世界を包み、濃厚な静寂を奏でていたのだった。

あのとき見た世界が、実写版としてここにあった。
かつて見た夢に会いに来たような
不思議な感覚だった。

なんども、私は夢の中で
ここに立っていたのかもしれない。









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