「あなたは、自分のことを、漢字一文字で表すとしたら何?」
と友人に、訊かれた。
人のことはあれこれ観察して、
「あの人は『流』って感じよね」
「あなたには『結』って言葉がぴったりよね」
なんて勝手に思ったり、言ったりしているくせに、
自分のことを尋ねられると
さっぱりわからない。
いい機会をもらったと思って、
しばし考えてみた。
少し前までは、そういえば
「凛」という言葉が好きだった。
自分の会社の屋号にも入れるほど大切な一字だった。
「凛と生きる」ってのが、かっこいいと思っていたのだった。
でも、今は不思議なほど、そうは思わない。
歳を重ねるというのはおもしろいものだ。
きりっとかっこよく立っている人の内側にある
寂しさや辛さに、どこか反応してしまう。
かっこよく生きることより、
憧れられる生き方より
素敵に見える生き方より
もっとやわらかく、あたたかく、
素直に生きたい。
そう、
あったかい人がいいなぁ。
この頃、強く思う。
そんなことを考えていたら、
ふと、『福』という言葉が浮かんだ。
ふくふくしい。
あーなんて、あったかい言葉だろう、と思った。
そして、冒頭の友人にそのことを伝えたら、
安岡正篤先生の本の中にある
こんな一節を教えてくれた。
「『幸』とは、幸の原因が自分の中に、偶発的な他より与えられたにすぎない幸せを幸という。それに対して自分の苦心、自分の努力によって勝ち得た幸いを『福』という。『福』という字がそれをよく表している。示偏というのは神様のことだ。示すというのは、上から光がさしている、神の光叡智の光を表す。旁は『収穫を積み重ねた』という文字だ。農家でいうならば俵を積み上げる文字。神の前に蓄積されたものが「福」である。」
そうか・・・
福は与えてもらものではないのだ、
神様の前に積み上げたものが
そのひとをふくふくしくする。
人生もだんだん後半に。
もうちょっと努力して
「福」をおすそわけできる、
そんな生き方ができますように。
満月の夜に。