今、がん患者さんと精神腫瘍科医の対話をまとめた本を執筆中です。
『115通の恋文』のときと同じように、いや、それ以上にあがいています。
「戦争」という題材も非常に重かったのですが、
今回の主題は「死」です。
だれにでも、100%「死」はやってくる
身近なテーマであるはずなのに
とんでもなく大きなものの前に、ペラペラの私が頼りなく立っている、
そんな気がしています。
ちなみに、精神腫瘍科医とはがん患者専門の精神科医のことです。
がんは医療の進歩により、完治することも多々ありますが、
それでも、がんに罹ったとわかった瞬間から人は、
嫌が応でも「死の恐怖」と対峙する時間を持つことになります。
その「死」の恐怖の前に、思うように動けなくなってしまった方の心の内を整理し、
最期までその人らしく歩めるよう、サポートをするのが精神腫瘍科医です。
なにせ今や、日本人の半分ががんにかかり、3分の1ががんで亡くなっているのですから
がん患者さんの心のケアは、今、第4の治療として非常に大きな注目を集めています。
(がん告知を受けた人の20パーセント近い人が適応障害になるとのデータもあります)
今回、ある肺がん患者さんからのご縁で、
精神腫瘍科のことを知り、執筆の機会をいただくことになりました。
取材を続けてもう半年以上になりますが、
また100円禿げができそうなほどに苦しみつつも
実に学び深い時間をえています。
その中でも、とくに印象深いのは、
人は、人生の期限を知ったとき、
「自らの人生における未解決な課題」に取り組もうとする生き物である
という精神腫瘍科医から教えていただた実例の数々です。
大切なあの人との関係性を修復してからあの世へいきたい、
どうしても、「愛している」と伝えておきたい
もう一度、あの人にお礼をいわずにはいられない
あの場所にもう一度立って、あの景色を眺めてみたい
封印していた夢を、やっぱり形にしたい・・・
人生の期限がわかると、
人は動き出さずにはいられないものだそうです。
「死」を考えることは、「生」を考えることだと、
改めて感じ入る日々です。