カテゴリー: Japan Craft Book メールマガジン

Japan Craft Book メールマガジンのバックナンバーです。HPが公開するまでの間、プロジェクト代表稲垣の個人ページで公開いたします。

  • 【vol.7】過去の魂が呼応する / 本作りの進捗状況

    【vol.7】過去の魂が呼応する / 本作りの進捗状況

    前回のメルマガの最後に、焼火神社の拝殿に初めて上がらせていただいたときのことを、次のように綴りました。

    『しばし一人の時間をいただき、静寂の中に身を置いているうちに、私は突然、はらはらと涙を流して泣き出したのです。いったい自分に何が起きたのか、すぐにはわかりませんでした。』

     

    その泣き出した私は、私のようで、私ではない。そんな体験でした。

    現世の稲垣麻由美という人生を生きている人間が涙を流しているというより、

    知らない過去の魂が反応している、いや、呼応しているものがある、と説明した方が自分としては納得できます。

    そして、自然と「ありがとうございます」と呟いていたのです。

    あの呟いた人は、遠い昔、焼火権現さまに助けられたことがあったのかもしれません。

     

     

    実は以前にも同様の体験をしたことがあります。

    それは2015年に『戦地で生きる支えとなった115通の恋文』(扶桑社)を上梓したときのことです。刷り上がったばかりの本を靖国神社に奉納したとき、同じように涙が溢れて仕方ないということがありました。

     

    この本は、戦時下に交わされたある夫婦の恋文を軸にしながら、南方戦線の現実を伝えるべく書き上げたものです。遺骨すら戻らぬ人々の声なき声を届けたい、その一心で6年半の取材期間を経て形にしたのですが、靖国神社で涙を流した私は、私自身が泣いているというより、この本とともにある英霊が涙しておられる、そんな感覚でした。

     

    こんなことを書くと、変わった人、何をおかしなことを、と笑われてしまうかもしれません。

    ただ、こんな感覚こそ、今、とても大事な気がしています。突き動かされることには必ずなんらかの目に見えぬ存在の意図があり、それを無視してはいけない、と確信しています。そして、「そんなこともあるよね」と捉えてくださる方が少しずつ増えているようにも感じています。

     

    こちらは現在の社務所の1階。島の人たちが今も大切にしている「はつまいり」の際、酒やご馳走とともにここに集う。

     

    そして、私は拝殿を出たあと、社務所にて松浦宮司にお茶を点てていただきながら、正式に「焼火神社の本を和紙で作らせていただきたい」と伝えました。

    すると宮司は、「今年はおそらく4年ぶりに例大祭を開催できると思います。723日です。そのときにお神楽がありますよ」とだけおっしゃったのです。私はその場で「はい、来ます。必ず参ります」とだけ答えて、焼火神社をあとにしたのでした。

     

    以前は、この城を思わせる広大な石垣の上に社務所が建てられていた。江戸時代には幕府から派遣される巡見使が400人以上の家来を率いて参拝した記録も残っている。いかにこの焼火神社(焼火山雲上寺)が広く信仰されていたかがわかる。

     

     

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    【本作りの進捗状況1】

     

    「なぜ、焼火神社の本を作ることになったのか」を過去に遡りお伝えしておりますが、

    本作りの進捗状況も少し報告させてください。

     

    現在、すでに水野竜生先生の絵が完成し、稲垣は文章を書き上げ、デザイナーの谷さやさんに素材を渡して託している段階です。信頼できる人に大切なものを預け、楽しみに待つ、という幸せとドキドキを体感中であります。

     

     

    ちなみに今回の本『焼火神社 ―御神火―』は、島根県浜田市にある西田和紙工房さんの石州和紙を使って制作することが決定しています。Japan Craft Bookプロジェクトの本づくりは、ご紹介する神様が坐す場所の近くで漉かれている紙を使うことに決めています。

     

    また、年明け早々にはJapan Craft BookプロジェクトのHPも公開予定です。このプロジェクトをまずは多くの方に知っていただくこと、一緒に楽しんでいただく方の輪を広げることが重要だと思っております。こちらのメールマガジンを、お知り合いの方へシェアしていただけますと幸いです。引き続き宜しくお願い致します。

    もし、何かご意見やアドバイス、ご感想などをいただけるようでしたら、こちらのアドレスまでお願い致します。

    official@japancraftbook.com 

     

    Japan Craft Bookプロジェクト 

    代表  稲垣麻由美

    ーつづくー

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  • 【vol.6】威容を誇る神殿の前で

    【vol.6】威容を誇る神殿の前で

     

    焼火神社の社殿を初めて見た衝撃は想像以上のものでした。

    身を巌に半分突っ込んだ、もしくは、巌から生え出るようにともいえるこの威容を前に、言葉をなくしました。

     

     

     さて、焼火神社の創建は平安時代。一条天皇の頃といわれています。

    旧暦12月30日の夜(大晦日)、海上から火が三つ浮かび上がり、その火が現在の社殿のある巌に入ったのが焼火権現の縁起とされています。当初は大山権現や、飛来神ともいわれていたそうですが、両部神道の影響を受け、明治維新の廃仏毀釈までは真言宗の焼火山雲上寺でした。この地に立ってみて「雲の上の寺」に納得し、なぜ社殿がこのような姿で建てられたのかも縁起を知れば唸るばかりです。

     

    それにしてもこのような社殿を建てようとした古の人たちはどんな会話をしながら建造していたのでしょう。「こりゃぁ、みんな驚くぞ」などと話していたのでしょうか。そんなことを想像すると、なんだか愉快な気分にもなります。そして、この写真にも写っている社殿を見下ろすかのように天に伸びる御神木も、その頃からずっとここに訪れる人たちを見守ってきたのでしょう。

    ちなみにこの社殿は享保17年(1732)に改築されたもので、隠岐島の現存する社殿では最も古く、平成4年には国指定の重要文化財に指定されています。

     

     

    焼火神社は、古くは栄花物語に「下もゆる歎きをだにも知らせばや 焼火神(たくひのかみ)のしるしばかりに」と記されており、その頃から中央にも知られていた存在であることがわかります。また、後鳥羽院が御渡島しの際、難風によって着すべき方を見失い、万策尽きてこの大権現に祈願したところ、神火が大きく灯り無事着岸されたことから、次のような御詠歌も残っています。

     

    「千早振る 神の光を今の世に

     けさで焼火の しるしみすらん」 後鳥羽上皇

     

    そして、安藤広重・葛飾北斎等の版画「諸国百景」には隠岐国の名所として焼火権現が描かれています。江戸時代には北前船の入港によって、焼火神社は海上安全の神としてさらに広く崇められ、現在も日本各地に焼火権現の末社が点在しています。

     

     

     

    ・・・と、このようなことをお話くださり、ご案内いただいたのが第21宮司 松浦道仁氏です。松浦氏は1952年生まれ。御神木のごとく、いかなるときも背筋がスッとのび、お背も高くて実にダンディな方です(駐車場から15分も歩くミニハイキングコースのような参道も、宮司は実に姿勢良く美しく歩かれるのでびっくりしました)。国學院学を卒業後、当時銀座にあった神社にてお務めされ、30歳を過ぎて隠岐に戻られたそうです。そのとき、「こんなもの(神社というシステム)が存続していくものだろうか」と考え込んだ、とのお話もしてくださいました。地方の神社はどこも存続していくこと自体が難しい時代となっているのです。

     

     

    余談ですが、私の父は島根県安来市出身です。そして私の旧姓は「生和(にゅうわ)」といいます。このエリアにおいても珍しい姓なのですが、なんとなくこの姓に生まれた意味があるような気がずっとしています。また、松浦氏と初めてお目にかかったとき、お顔が父とどこか似ていて内心とても驚きました。そして、懐かしい祖母の顔を思い出しました。どうもこの地方ならではの「お顔つき」というものがあるような気がいたします。父はダンディとは程遠く、柔和なおじいちゃんという感じですが(笑)

     

    そして、松浦氏のご厚意で私は拝殿に上らせていただくことができました。しばし一人の時間をいただき、静寂の中に身を置いているうちに、私は突然、はらはらと涙を流して泣き出したのです。いったい自分に何が起きたのか、すぐにはわかりませんでした。


    Japan Craft Bookプロジェクト

    代表  稲垣麻由美

     

    ーつづくー

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  • 【vol.5】超自然的な存在を感じる場所

    【vol.5】超自然的な存在を感じる場所

    それにしても人のご縁とは不思議です。
    私が知人もいない隠岐島ですんなりと焼火神社へと行くことができたのは、私に水野先生と谷さやさんを紹介してくれた友人(森田多佳子さん)が、次に隠岐島在住のデザイナー、南貴博さん・麻衣さんご夫妻を紹介してくれたからです。

    一人のキーマンの存在のおかげで、驚くほどコトがするすると動く、という時はたいてい何事も吉。その友人が「面白い人が行くから、宜しくね」と南さんにささやいてくれていなかったら、私は西ノ島の港でひとりポツンと困り果てていたことでしょう。

    その南さんご夫妻は7年前に東京から隠岐島・海士町に移住。実は東京時代から水野先生と谷さんと親しかったことを、私は隠岐に行ってから知りました。そして南さんが、水野先生に「一度、隠岐へ遊びに来ませんか」と誘うことがなければ、このJapan Craft Book プロジェクトはきっと違う形になっていたはずです。

    水野先生は初めて焼火神社を訪れたとき、こんな風に感じられたそうです。

    「そこは、宇宙の中心にいるような気持ちになる所。(中略)なんとも言えない気持ちの良さ。体の中心と宇宙の創造力の中心がつながったような気持ちになる。頭の中の凝り固まっているものが解けるように感じ、清々しい気持ちになった。車に戻り早速絵を描く。何かが変わった。」(「焼火神社」水野竜生ブックレットより)

    その「何かが変わった」瞬間の絵が下記のポスターのものだそうです。そして、その約3ヶ月後に再来島し、社務所にこもって描き上げられたのが、私を隠岐に導いてくれたの10mの絵だったのです。

     

     

    2019年7月に焼火神社で開催された水野竜生展時の写真。右から南貴博さん、水野竜生先生、谷さやさん。
    この2年半後に私はこの3人の方と出会います。写真提供:谷さん

    さて、2022年3月、私は漸く焼火神社に到着します。その地に立った時、ふと思い出したのは、『神と仏』(山折哲雄著)の一節です。

    「古く人類は、天空の広さや闇の深さにとりかこまれて生活していた。やがて彼らは、そのような無限にひろがる空間の中にカミやホトケの声をききわけるようになり、それらの超自然的な存在との対話をはじめるようになった。」

    焼火神社は、標高451.7mの隠岐島前の最高峰、島前カルデラの中央火砕丘と呼ばれる火山地形・焼火山の8合目近くにあります。そこは今時の言葉でいうと、いわゆる絶景スポット。

    穏やかな海が遠くまで広がり、島前3島の間を航行する船がよく見え、刻々と変わる海と空が溶け合う色をいつまでも眺めていたい…そんな場所です。そして、ここに立った古代の人たちが、見えない大きな存在と対話をし始めた姿をありありと想像できたのです。

     

    私自身も、その場で自然と目に見えないものに手を合わせていました。そして、足もとから立ち上がってくる強いエネルギーに、意識が覚醒するような不思議な感覚をも持ったのです。

    そもそも神社というものは特別なエネルギーが湧き出る場所に建てられ、後世になって「ここの御祭神は・・・」とわかりやすいものを後付けで配置してきたのではないでしょうか。神話を尊重しつつも、今、古の人たちのように、超自然的なものを感受する力を研ぎ澄ましていくことが大事な気がしてならないのです。

    そして、我々が作ろうとしている本もそんなエネルギーを宿したものにしたいと考えているのですが・・・。

    なかなか話がお社まで辿り着けません。次回こそは巌から生えたように建つ社殿。そして、超ダンディな焼火神社の松浦宮司のお話を!

     

    南さんご夫妻が海士町で運営されている
    絶景「コワーキングスペース」
    https://www.kitaya-ama.com/

     

    Japan Craft Bookプロジェクト

    代表  稲垣麻由美

     

    ーつづくー

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