品は、引き算から生まれ、
華は、足し算から生まれる。
謹み深く、謙虚な日々の生きようから生まれるものが品であり、
ポジションや人目によって育まれていくのが華である。
そして、どちらも、
卑屈さがないことが大きな鍵である。
ぶれない自分軸を持ってこそ、
美しく宿る。

品は、引き算から生まれ、
華は、足し算から生まれる。
謹み深く、謙虚な日々の生きようから生まれるものが品であり、
ポジションや人目によって育まれていくのが華である。
そして、どちらも、
卑屈さがないことが大きな鍵である。
ぶれない自分軸を持ってこそ、
美しく宿る。


ちゃんと伝えていれば、
相手の反応は全く違ったのかもしれない。
そう強く思う出来事があった。
神道の言葉に「言挙げせず」というものがある。
「言挙げ」とは「言葉に出す」という意味で
まさに、言葉に出さないこと。
日本人は多くを語らず、互いの気持ちを察し
心で感じることを大切に過ごしてきた。
ただ察するには、相手を見ていなければならない。
会わずにメールで済ませることが多い相手に
そういえば、これは機能しないのだった。
見せていないのに、察してもらえるはずがない。
わかってもらえるだろう、とこちらが思うのは
ひとりよがりなことだったことに、
すっかりことが過ぎて気づいた。
SNS全盛時代となり、伝えないと感じ取ってもらえない、
が、加速している。
その人から発信されるものは、
大抵、真実と異なるのに。
見せたいところだけを見せた世界は
少しゆがんでいるのに。
言挙げせず。
この美しい言葉が、尊く感じる。

ずっと「アンチエイジング」という言葉が嫌いだった。
年齢を重ねることを否定してどうする。
シワもその人の魅力でしょ。
抗って必死に若作りしているなんてかっこ悪い。
つい最近までそう思っていたのだった。
でも、実際に自分が歳を重ね、50歳をすぎた頃からだろうか・・・
「あー、ごめんなさい。
抗いたい気持ち、よーくわかります」
と一人鏡の前でつぶやき、
中指と人差し指で緩んでしまった頬をつりあげている自分がいる。
つい最近まで、パンツはお尻で履くものだった。
今は、ふとももが諸々の判断基準となり、お尻は上着で隠すものとなった。
ポッコリお腹は、へっこむ兆しは全くなく、意味不明の膨張が加速するばかり。
たるんだ腕、たるんだほっぺ、たるんだ涙ぼくろ・・・
街のショーウインドウに映ったおばさんの姿が自分だと気づくのに数秒かかる。
友人が撮った写真の中にみつけた自分の丸い背中に愕然とする。
「あー、やだやだ」と思う。
「なんとかしなきゃ」と思う。
ヨガ教室に行ってみようか、
ドモホルンリンクルを頼んでみようか、
セサミンを飲んでみようか、
そんなことをあれこれ考え出す。
一般人である私でさえ、こんなに現実を受け入れられないのだから
芸能界で生きておられる方が、あれこれ顔をいじりたくなるのはよくわかる。「美」が売りで過ごされてきた方に、この現実はさぞ酷なことなのだろう。
先日、いつも通っている美容院でこの話をしたら、
美容師さんが「いい美顔器がありますよ〜」と
ある商品を試させてくれた。
人生初体験の美顔器は、電気による振動で美容液を皮膚深くに浸透させる
というものだった。たるんだ頬がよく揺れる。
「ご存知ですか?ほうれい線はね、顔がたるんでできるんじゃなくて
肩こりや首のこりが原因で深くなるんです。
稲垣さんは書くお仕事だから、肩こりは仕方ないですよね。
この振動で首筋のリンパを流すんですよ。
ほうれい線が薄くなるだけじゃなくて、肩こりが消えますから・・・」
美容師さんの勧め方が実にうまかった。
「肩こり」というキーワードが、
美顔器という言葉に、アンチエイジングに抵抗があった私に
イイ言い訳を与えてくれた。
美容院を出た時には、右手にパソコン入りのいつもの大きな仕事バッグ。
左手には美顔器が鎮座している赤とゴールドの華やかな紙袋を持っていた。
さて、話をもとに戻そう。
今回はとうとう美顔器を買ってしまった、という話ではない。
大事なのは、
その年齢、その立場にならないとわからないものが
必ずどんなことにもあり、
その世界を覗いたこともないのに、
人を嘲笑ったり、否定してはいけないのだ、
としみじみ思ったことなのだ。
「老い」を受け入れるのは、案外難しい。
とはいえ、誰もが必ず老いていく。
どう頑張っても抗えないものがあることを、ちょっとずつ受け入れながら
人はまたそこで深みを増していくものかもしれない。
『いっさいなりゆき』という樹木希林さんの本が恐ろしく売れている。
このタイトルをつけた編集者は、
私と同じか、ちょっと上の年齢の方ではないだろうか。
その境地に達したい女性の気持ちを実にうまく掴んでいる。
私はちょっと抗いながらも
老いを受け入れるこころの準備進行中。
まだまだ未熟である。