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  • 【vol.8】畏怖の念を抱く

    【vol.8】畏怖の念を抱く

     

    ご存知のように出版業界は今、非常に厳しい状況です。たとえば、話題のあの本を読みたいと思ったとき、本屋さんには行かず、まずはメルカリなどの中古市場で検索するという方も多いでしょう。日々情報は溢れていますし、文字情報を読むよりYouTubeを見た方がわかりやすくて便利、なんてことも増えています。

     

    また先日、昼下がりのカフェで、ある男性が革のブックカバーに包んだ分厚い本をゆったとした空気感を纏いながら読んでいる姿をみて、なんてかっこいいと思いました。これも、読書する人を見かけることが珍しくなったから、ということに他なりません。

     

    そんな時代に、なぜ自分は本をつくりたいと思うのか。こんなに多くの人を巻き込んで大丈夫なのかと、正直なところ、不安になるときもあります。ですから、繰り返し、なぜ、何を、誰に、を日々自分に問い続けています。

    そんな日々の中で出てきたのが「畏怖」という言葉でした。なにかを克服するという発想ではなく、自分ではコントロールできないものや自然界のようなものに対して、もっと畏怖の念や畏敬の念を持っていれば、我々はもう少し違う流れの中で生きてこられたのではないかと思うのです。

     

    焼火神社という場所に立ったとき、その地が持つエネルギーや積み重なった歳月の記憶の渦に巻き込まれ、自分という存在のちっぽけさを体感しました。それは強烈な経験でした。こういった場所に、古来より人は神威を感じ神社仏閣を建ててきたのでしょう。

     

     

    今回の本作りに込めたいのは、その「森羅万象に畏怖の念を抱く日本人の感性」です。都心に建ち続けている高層マンション群を見る限り、その感性を日本人はもはや忘れているようにも思えますが、我々のDNAの中にあるその価値を掘り下げ、それを世界へ届けたいという大それた欲求が湧いてくるのです。

     

    それは、戦争が起きたことでより強くなりました。もちろん、そのようなものがとんでもない指導者たちの行動を変えるなどとは微塵も思っていません。ただ、水面に吹いた微かな風が小さな波紋を生み、その波紋が広がっていくことは期待しています。

     

    そしてそれが、「日本の神様の物語を、日本の紙に綴る、描く」というこのプロジェクトのコンセプトにつながっています。神様は、ある意味エネルギーであり、日本の紙を世界へ配ることは日本の神様を配ることになる、とも思っているのです。全てに波動は宿りますから。

     

    だからこそ、本に添える絵は美しく力強いものでなくてはならず、綴る文章も手にしてくださった人のこころの中で膨らむものであって欲しく、本に宿る佇まいがよくなければ、込めた思いは届かないと思っています。

    掌にのる小さな紙の束にそんな思いを宿した今回の試み。時に迷い立ち止まりながらも、一緒に楽しんでくださっている方々に心から感謝しつつ、進めていきたいと思います。

     

     

    焼火神社の例大祭にて目の前で拝見した御神楽は、私にとっては実にエキサイティングなものでした。想像していた以上に明るい音階で、ビートが効いたリズムに合わせて展開される神楽は人々を一種のトランス状態へと誘っていきます。

    そして、そのときの情景を描いてくださった水野竜生先生の絵をもとに、本作りは進んでいます。

     


    年末までお付き合いくださったみなさま
    心よりお礼を申し上げます。
    どうぞ、良いお年をお迎えくださいませ。

     

    Japan Craft Bookプロジェクト 

    代表  稲垣麻由美

    ーつづくー


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  • 【vol.7】過去の魂が呼応する / 本作りの進捗状況

    【vol.7】過去の魂が呼応する / 本作りの進捗状況

    前回のメルマガの最後に、焼火神社の拝殿に初めて上がらせていただいたときのことを、次のように綴りました。

    『しばし一人の時間をいただき、静寂の中に身を置いているうちに、私は突然、はらはらと涙を流して泣き出したのです。いったい自分に何が起きたのか、すぐにはわかりませんでした。』

     

    その泣き出した私は、私のようで、私ではない。そんな体験でした。

    現世の稲垣麻由美という人生を生きている人間が涙を流しているというより、

    知らない過去の魂が反応している、いや、呼応しているものがある、と説明した方が自分としては納得できます。

    そして、自然と「ありがとうございます」と呟いていたのです。

    あの呟いた人は、遠い昔、焼火権現さまに助けられたことがあったのかもしれません。

     

     

    実は以前にも同様の体験をしたことがあります。

    それは2015年に『戦地で生きる支えとなった115通の恋文』(扶桑社)を上梓したときのことです。刷り上がったばかりの本を靖国神社に奉納したとき、同じように涙が溢れて仕方ないということがありました。

     

    この本は、戦時下に交わされたある夫婦の恋文を軸にしながら、南方戦線の現実を伝えるべく書き上げたものです。遺骨すら戻らぬ人々の声なき声を届けたい、その一心で6年半の取材期間を経て形にしたのですが、靖国神社で涙を流した私は、私自身が泣いているというより、この本とともにある英霊が涙しておられる、そんな感覚でした。

     

    こんなことを書くと、変わった人、何をおかしなことを、と笑われてしまうかもしれません。

    ただ、こんな感覚こそ、今、とても大事な気がしています。突き動かされることには必ずなんらかの目に見えぬ存在の意図があり、それを無視してはいけない、と確信しています。そして、「そんなこともあるよね」と捉えてくださる方が少しずつ増えているようにも感じています。

     

    こちらは現在の社務所の1階。島の人たちが今も大切にしている「はつまいり」の際、酒やご馳走とともにここに集う。

     

    そして、私は拝殿を出たあと、社務所にて松浦宮司にお茶を点てていただきながら、正式に「焼火神社の本を和紙で作らせていただきたい」と伝えました。

    すると宮司は、「今年はおそらく4年ぶりに例大祭を開催できると思います。723日です。そのときにお神楽がありますよ」とだけおっしゃったのです。私はその場で「はい、来ます。必ず参ります」とだけ答えて、焼火神社をあとにしたのでした。

     

    以前は、この城を思わせる広大な石垣の上に社務所が建てられていた。江戸時代には幕府から派遣される巡見使が400人以上の家来を率いて参拝した記録も残っている。いかにこの焼火神社(焼火山雲上寺)が広く信仰されていたかがわかる。

     

     

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    【本作りの進捗状況1】

     

    「なぜ、焼火神社の本を作ることになったのか」を過去に遡りお伝えしておりますが、

    本作りの進捗状況も少し報告させてください。

     

    現在、すでに水野竜生先生の絵が完成し、稲垣は文章を書き上げ、デザイナーの谷さやさんに素材を渡して託している段階です。信頼できる人に大切なものを預け、楽しみに待つ、という幸せとドキドキを体感中であります。

     

     

    ちなみに今回の本『焼火神社 ―御神火―』は、島根県浜田市にある西田和紙工房さんの石州和紙を使って制作することが決定しています。Japan Craft Bookプロジェクトの本づくりは、ご紹介する神様が坐す場所の近くで漉かれている紙を使うことに決めています。

     

    また、年明け早々にはJapan Craft BookプロジェクトのHPも公開予定です。このプロジェクトをまずは多くの方に知っていただくこと、一緒に楽しんでいただく方の輪を広げることが重要だと思っております。こちらのメールマガジンを、お知り合いの方へシェアしていただけますと幸いです。引き続き宜しくお願い致します。

    もし、何かご意見やアドバイス、ご感想などをいただけるようでしたら、こちらのアドレスまでお願い致します。

    official@japancraftbook.com 

     

    Japan Craft Bookプロジェクト 

    代表  稲垣麻由美

    ーつづくー

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  • 【vol.6】威容を誇る神殿の前で

    【vol.6】威容を誇る神殿の前で

     

    焼火神社の社殿を初めて見た衝撃は想像以上のものでした。

    身を巌に半分突っ込んだ、もしくは、巌から生え出るようにともいえるこの威容を前に、言葉をなくしました。

     

     

     さて、焼火神社の創建は平安時代。一条天皇の頃といわれています。

    旧暦12月30日の夜(大晦日)、海上から火が三つ浮かび上がり、その火が現在の社殿のある巌に入ったのが焼火権現の縁起とされています。当初は大山権現や、飛来神ともいわれていたそうですが、両部神道の影響を受け、明治維新の廃仏毀釈までは真言宗の焼火山雲上寺でした。この地に立ってみて「雲の上の寺」に納得し、なぜ社殿がこのような姿で建てられたのかも縁起を知れば唸るばかりです。

     

    それにしてもこのような社殿を建てようとした古の人たちはどんな会話をしながら建造していたのでしょう。「こりゃぁ、みんな驚くぞ」などと話していたのでしょうか。そんなことを想像すると、なんだか愉快な気分にもなります。そして、この写真にも写っている社殿を見下ろすかのように天に伸びる御神木も、その頃からずっとここに訪れる人たちを見守ってきたのでしょう。

    ちなみにこの社殿は享保17年(1732)に改築されたもので、隠岐島の現存する社殿では最も古く、平成4年には国指定の重要文化財に指定されています。

     

     

    焼火神社は、古くは栄花物語に「下もゆる歎きをだにも知らせばや 焼火神(たくひのかみ)のしるしばかりに」と記されており、その頃から中央にも知られていた存在であることがわかります。また、後鳥羽院が御渡島しの際、難風によって着すべき方を見失い、万策尽きてこの大権現に祈願したところ、神火が大きく灯り無事着岸されたことから、次のような御詠歌も残っています。

     

    「千早振る 神の光を今の世に

     けさで焼火の しるしみすらん」 後鳥羽上皇

     

    そして、安藤広重・葛飾北斎等の版画「諸国百景」には隠岐国の名所として焼火権現が描かれています。江戸時代には北前船の入港によって、焼火神社は海上安全の神としてさらに広く崇められ、現在も日本各地に焼火権現の末社が点在しています。

     

     

     

    ・・・と、このようなことをお話くださり、ご案内いただいたのが第21宮司 松浦道仁氏です。松浦氏は1952年生まれ。御神木のごとく、いかなるときも背筋がスッとのび、お背も高くて実にダンディな方です(駐車場から15分も歩くミニハイキングコースのような参道も、宮司は実に姿勢良く美しく歩かれるのでびっくりしました)。国學院学を卒業後、当時銀座にあった神社にてお務めされ、30歳を過ぎて隠岐に戻られたそうです。そのとき、「こんなもの(神社というシステム)が存続していくものだろうか」と考え込んだ、とのお話もしてくださいました。地方の神社はどこも存続していくこと自体が難しい時代となっているのです。

     

     

    余談ですが、私の父は島根県安来市出身です。そして私の旧姓は「生和(にゅうわ)」といいます。このエリアにおいても珍しい姓なのですが、なんとなくこの姓に生まれた意味があるような気がずっとしています。また、松浦氏と初めてお目にかかったとき、お顔が父とどこか似ていて内心とても驚きました。そして、懐かしい祖母の顔を思い出しました。どうもこの地方ならではの「お顔つき」というものがあるような気がいたします。父はダンディとは程遠く、柔和なおじいちゃんという感じですが(笑)

     

    そして、松浦氏のご厚意で私は拝殿に上らせていただくことができました。しばし一人の時間をいただき、静寂の中に身を置いているうちに、私は突然、はらはらと涙を流して泣き出したのです。いったい自分に何が起きたのか、すぐにはわかりませんでした。


    Japan Craft Bookプロジェクト

    代表  稲垣麻由美

     

    ーつづくー

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