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  • 【vol.11】漂う気配を大切にしたい

    【vol.11】漂う気配を大切にしたい

     

    焼火神社でお神楽を拝見した翌日、

    水野先生は宿泊していた西之島の国賀荘の一室に籠り、

    昨夜のことを描き始められました。

     

     

    描きたい、と思ったその瞬間に筆を動かすことが

    とても大事なのだそうです。

    今回のプロジェクトで、私にとって贅沢で幸せなことの一つは、

    こんな風に絵が生まれる瞬間に立ち会えたことです。

     

     

    用意してあった石州和紙の上に立ち現れてきたのは、

    お神楽の様子だけではなく、焼火に息づくものたちでした。

     

    昨日、参道を上りながら、水野先生が時折立ち止まっては、

    掌サイズの白い紙に鉛筆で何かを描かれていたのは知っていたのですが・・・

    そのスケッチされた紙を左手に、右手に筆を持ち、先生は迷うことなく、

    するすると筆を動かしていかれます。

    あの場に漂っていた気配というものが描かれていくように感じました。

     

     

    ちなみに焼火神社を中心とする約4haの山林は、

    「焼火神社神域植物群」として1970年に県の天然記念物に指定されています。

    「神域」とされる場所だけに、貴重な植物が今も多く自生しているのです。

    そのなかの筆頭は「タクヒデンダ」でしょう。

    デンダ(連朶)とはシダの古名ですが、「タクヒ」という冠がついた

    美しいシダが確かに青々と茂っていました。

     

    ただ、水野先生には天然記念物だろうが、そんなことはきっと関係なく、

    先生ならではのセンサーで、この地の生きとし生けるものと

    交流されていたのではないかと思います。

     

     

    私はといえば、何か言葉にするものを感じ取りたいと参道を歩き、

    お神楽を見ていたつもりでしたが、

    いま思えば、ただただ気持ちよく歩き、

    ただただお神楽を見て楽しい気分になっただけのような気が致します。

     

     

    後日、先生は東京のアトリエで、新しい和紙に神楽の絵を描かれました。

    私もさらに焼火神社のこと、お神楽のことを調べました。

    国会図書館には、焼火を旅した小泉八雲の随筆などもありました。

     

    いつものことながら、私は自分の身体(脳ではなく)いっぱいに情報を詰め込み、

    しばし発酵の時を待たねば、言葉を紡げません。

     

    本に載せる文章は、その1ヶ月後ぐらいに漸く形になってきました。

    そして、今読み返すと、自分が書いたという実感のない言葉が並んでいます。

     

    書かせていただいた、と感じています。

     

    Japan Craft Bookプロジェクト 

    代表  稲垣麻由美

    ーつづくー

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  • 【vol.10】隠岐島前神楽

    【vol.10】隠岐島前神楽

    ミュージシャンの細野晴臣氏が、焼火神社で奉納される隠岐島前神楽の奏楽(音楽)についてこんな風に語っています。

    「全部がシンコペーションしてロックみたい。鉦(かね)がハイハットに聞こえるし。大太鼓がキックで。オフビートだね。ドラムセットを叩いているみたいだ。(中略)かっこいいよ・・・」

    (『別冊太陽』お神楽 )

     

    私の中で「?」が飛び交いました。「ロックみたい?」「オフビート??」

    私の知っている神楽といえば、白衣に緋色の袴の巫女さんが、鈴を手に鳴らし静々と舞う。そんなイメージでした。が、日本は広い。全国で神楽は数千種類もあるそうです。しかも調べるほどに多種多彩。

    その中でも隠岐島前神楽は極だった個性を持つものだったということを、私は2022723日に開催された焼火神社の例大祭に参加させていただき、知ったのです。

     

     

    その年の3月、私が一人で焼火神社を訪ねたとき、松浦宮司から「今年はおそらく4年ぶりに例大祭を開催できると思います。そのときに神楽がありますよ」とお話しいただきました。

    「はい、来ます。必ず参ります」と即答した私。焼火神社のことをもっと知りたい、この地にもっと触れなければ何も書けないと思っておりましたので、それは逃すことのできない貴重な機会でした。

     

    そして、そのことを画家の水野竜生先生とデザイナーの谷さやさんに伝え、「行きましょう!」とお声かけし、3人揃って向かったのです。

     

     夏の陽が落ち、空と海が同じ紺碧に染まる19時から祭典が神殿にて始まりました。それは実に厳かな雰囲気。宮司が神を迎える準備を進め、地域の長老が玉串奉奠(たまぐしほうてん)をします。その静謐なひとときは、闇が高天原と豊葦原のあわいにとけていくうように感じました。

     

    20時半より社務所に設けられた斎場に皆が移動してお神楽が始まりました。最初は左手に榊、右手に扇を持った男性が面をつけずに一人で舞う「神途舞(かんどまい)」。その舞とワンセットの神楽歌には「幣の立っている、この場所も高天原(たかまがはら)であるので、集まりなさい四方の神々」などとあります。舞うことでその場を払い清め、共に神を招くのです。

     

     

    その後、猿田彦大神が天孫を迎える演目あたりから、奏楽が少しずつ早拍子になり、4分の3拍子のリズムを刻んで場の空気がどんどん変わっていきます。

    特に「随神(ずいしん)」という演目(番組)は、白面の善神と黒面の邪神が戦うという勧善懲悪もので、舞も激しく、内容の詳細がわからなくとも、邪神が退散される場面では、会場から拍手と笑いが自然と生まれます。

    神聖な気持ちで臨んでいた私も、いつしかすっかり寛ぎながら楽しんでいました。細野さんが絶賛していた奏楽の力もありなんとも愉快な気分になっていくのです。

     

    大太鼓、締太鼓、手平鉦で奏でるアップテンポな独特のリズム。今も耳に残る「ヤハー ヤハー ヤハハー」と繰り返されるお囃子にも包まれて、軽いトランス状態に入っていくという体験をしました。

    日本の伝統音楽において4分の3拍子というのは非常に珍しく、隠岐島前神楽ならではの特徴だそうです。今回はコロナのこともあり、2時間ほどで終わりましたが、これが昔のように夜通し続いたらいったいどうなっていたのだろうと思います。

     

     

    そして、最も感動したのは「舞い児(まいこ)」と呼ばれる巫女舞でした。その年に生まれた1歳未満のあかちゃんを抱いて舞うのです。新しい命が健やかに成長しますようにと願う舞は、神の威徳を得てより濃密な時空を生んでいました。

     

     

    さて、「神楽」の語源は「神座(かみくら・かむくら)」が縮まったものです。神座とは神が依りつく場(岩、木、人など)や物 (幣、鈴、榊など)のことを指します。

    ある本に「神楽とは、神々の集うオールナイトパーティー」と書かれていましたが、今なら少しわかる気がします。神座に神々を降ろし、人間と共に興じる場は、明るく楽しくあってこそ。なにせ、神楽の起源は、天岩戸開きで天宇受売命(アメノウズメ)が踊ったことなのですから。

     

    隠岐島前神楽は現在、島前神楽保存会として島前各地の有志が集まってこの神楽を伝承されています。昭和40年ごろまでは保存会組織ではなく、5軒あった社家(シャケ)と呼ばれる神楽を生業とするいわばプロ集団のみで伝えられていたそうです。

    ちなみに現在も1軒(石塚家)だけ残っているそうです。また保存会には若い女性も加わっていて、他所者ながら勝手に嬉しくなりました。その土地に連綿と受け継がれてきた舞。「伝承」という言葉の重みをありありと感じた一夜でもありました。

     

     

    神楽の様子については、ぜひこちらの動画もご覧ください。

     

    「焼火神社例大祭 2022」

    (島根県西之島町公式チャンネル)

     

    そして、今、この神楽の様子を描いた水野先生の水墨画をもとに本作りをすすめています。タイトルは「神迎え」となる予定です。

     

    Japan Craft Bookプロジェクト 

    代表  稲垣麻由美

    ーつづくー

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  • 【vol.9】日本の紙と神様と  ー石州和紙―

    【vol.9】日本の紙と神様と  ー石州和紙―

     

    Japan Craft bookの第一号は焼火神社の絵本にしたい」
    そう決めたとき、島根県の和紙を使うことを同時に決めました。

    神様の依代(よりしろ)となり、我々の思いを託す紙は、その物語とゆかりある場所のものにしたい。――それは今回のプロジェクトを立ち上げたときに最初に浮かんだことでした。

     

     

    そして、2冊、3冊と制作する度、日本各地にある和紙の産地を順に巡り、ご縁が広がっていくことを思い描いています。わずかながらも需要を作り、その土地の和紙の素晴らしさを発信するツールの一つにJapan Craft bookがなれれば、心から嬉しいと思っています。

    「日本の神様の物語を、日本の紙に綴る、描く」というコンセプトは、そんな思いからも生まれています。

    とはいえ、私には島根県の和紙工房とのご縁はなく、どうすべきかしばし思案していました。

    そんなとき、弊社開催のイベントの際に「和紙の本を作ることを考えている」と話したところ、そのときの講師の方から「和紙を扱うスペシャリストといえば、横尾さんよ。和紙の素晴らしさを世界へ発信している人がいるわ」とご紹介いただいたのが、マスミ東京(https://www.masumi-j.com/)の社長・横尾靖氏でした。

    どうも今回のプロジェクトについては、必要な人にはタイミングよく出逢えるよう神様が采配してくださっていると感じています。

     

    横尾氏は表装美術家であり、日本の伝統文化の融合というべき表装文化を広めるべく、国内のみならず、ヨーロッパ各国、中国、ロシアなどでも展覧会やワークショップを積極的に開催していらっしゃいます。

    その横尾氏が「島根なら、石州和紙の西田和紙工房さんでしょう。ご紹介しますよ」とおっしゃってくださり、全てが決まりました。柳宗悦が刊行していた雑誌『工芸』の紙が、石州和紙であったことを読み知っており、ストンと落ちるものが私の中にありました。

     

    そして20227月。私は画家の水野竜生先生、デザイナーの谷さやさんと一緒に、島根県浜田市にある西田和紙工房(https://www.nishida-washi.com/)を訪ねました。

    案内してくださったのは、7代目の西田誠吉氏です。工房にて制作過程を一つ一つ丁寧に説明してくださっただけでなく、楮(こうぞ)畑を農家さんと一緒に案内までしていただきました。

     

     

    ご存じかもしれませんが、石州和紙は1300年の歴史を誇り、萌黄色や茶褐色を帯びた色と、極めて強靭で剛直な風合いが特徴です。かつては大阪商人の帳面には欠かせないもので、火災の時には井戸に投げ込み保存を図ったという逸話が残っています。

    現在では桂離宮や二条城などの文化財修復の下張りや裏打ちなどにも使われています。2009年にはユネスコ無形文化遺産に登録。また、地元の石見神楽に欠かせない重要な存在で、面はもちろんのこと、花形といえる巨大な八岐大蛇(やまたのおろち)は竹と石州和紙だけで作られているそうです。

     

     

    ただ、この地で和紙を作っているのは現在4軒の工房だけです。資料によると、明治22年には6377軒もあったそうですから、この激減ぶりからも時代の流れが読みとれます。

    楮農家も成り立たなくなり、製造そのものが危ぶまれる状況が長らく続いていたそうですが、Iターン、Uターン人材を取り込むなど、様々な努力の積み重ねの結果、ここ10年で漸く楮が地元で完全自給できるようにまで復活したと伺いました。ぜひ、何かを感じられた方は一度、現地を訪ねてみることをおすすめします。

     

    そして今、私の手元には、石州で育った楮を使い、石州の風土で漉きあげられた和紙に水野先生が描いてくださった隠岐島島前神楽の絵があります。

    木の皮の繊維を用い、清らかな水で漉き上げる紙は神聖で清浄なものであり、日本人にとって紙は神に通じるものとしてきました。そこに描かれた御神楽の世界は美しいだけでなく、目に見えない神様が我々人間と一緒に戯れ愉しんでおられる様子が見事に描かれています。

    眺めるほどにどこかこころ楽しくなるこの絵を、皆様に早くお届けしたいと準備を進めています。

     

    Japan Craft Bookプロジェクト 

    代表  稲垣麻由美

    ーつづくー

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