許す、という行為が難しいことを
私は子供の頃から強く感じて育った。
深い皺が刻まれたその人の顔は
その人の生きていた時間を示すものだった。
どんなに優しげな言葉をその人が口から吐いても
どこか安心してその胸に飛び込むことはできなかった。
その人が、泣いた時だけ、
玉ねぎの薄皮をむいて、白いところが見えたときのように
はっとして、どこか安心できた。
でも、私はずっと願っている。
その人が、許す、という行為を人生の最期にしてほしい、と。
許すとは、怒りから解放されることだから。

許す、という行為が難しいことを
私は子供の頃から強く感じて育った。
深い皺が刻まれたその人の顔は
その人の生きていた時間を示すものだった。
どんなに優しげな言葉をその人が口から吐いても
どこか安心してその胸に飛び込むことはできなかった。
その人が、泣いた時だけ、
玉ねぎの薄皮をむいて、白いところが見えたときのように
はっとして、どこか安心できた。
でも、私はずっと願っている。
その人が、許す、という行為を人生の最期にしてほしい、と。
許すとは、怒りから解放されることだから。


「人は誰しも、世の中を潤したい。
そう思って生きているものではないでしょうか。
あなたの本は、私を潤してくれました。
羨ましく思うと同時に、お礼を申し上げます。」
拙著『人生でほんとうに大切なこと』を読んでくださった
71歳の男性から届いたメッセージにそう書いてあった。
過分なお言葉に心からありがたい
と思うと同時に、「潤す」という言葉が
私の中でみちることとなった。
そうか・・・
誰かのこころに届くものを書きたい
と、ずっと思っていたけれど
それは、誰かの心を潤したい、
ということだったのかもしれない。
潤すことができるのは
美しい雨水であり
乾いた喉に通る清らかな水。
私の綴るものには、
ときに、怒りや、嫉妬の臭いがする水となることが
あるかもしれない。
でも、それも時に
人間らしいとお許しいただこう。
潤おす。
なんといい言葉なんだろう。
あなたの乾いた心に沁みる一文を
綴れますように。

自分の心の声に従って
自分のできる範囲で
自分のできることを最大限やっていけばいい。
最大限やったと思えるなら、大丈夫。
きっと、誰かが見てる。
自分の根になっている。
