カテゴリー: つれづれ

  • LovePiano in 品川

    10月は品川駅を通るのがとても楽しみだった。
    駅ナカ広場にLovePianoがあったからだ。

    LovePianoとは、ヤマハ楽器さんが、だれでもどうぞ、
    お好きに弾いてみてね、と
    街中にpianoを置いてくれる企画だ。

    私が品川駅を通る19時くらいは、サラリーマンでごったがえす。
    そこに流れるピアノの音に多くの人が足をとめる。

    カッコイイスーツをビシッと着こなしたお兄さんが
    とんでもない技巧派の演奏をして大拍手を浴びる時もあれば
    小さな女の子がポロンポロンと弾いて、誰もが笑顔になるときもある。

    でも、ちょっとくたびれたスーツを着たおじさんが
    背中を丸めて、ぎこちない演奏をしているのが、なんとも素敵だった。

    人生を奏でる音にこそ、足が止まる。

  • 骨髄移植提供者になり損ねた夏

    骨髄移植提供者になり損ねた夏

    この夏、少々腑抜けとなった。
    年明けに届いた骨髄バンクの封筒からコトは始まる。
    なんか今回はやけに分厚いな・・・ぐらいでしばらく放置していたら、
    ある日、バンク事務局から電話がかかってきた。

    「封書をご覧いただいいておりますでしょうか?
     お返事をいただかないと、待っておられる患者さんが困られます!」
    「えっ?」

    実は骨髄バンクに登録したのは23年も前のこと。
    娘を産んだ福岡の産院で骨髄バンクのことを知った。
    (臍帯血バンクでないところがミソだ)
    娘を授かったことへの、ご恩返しの気持ちで登録したことを覚えている。

    それから、季節ごとに会報誌が送られてくるのだが
    一通り目を通してすぐにゴミ箱へ、という歳月が延々と続いたせいで、
    私の感覚はすっかり麻痺をし、たくさんの人生ドラマが詰まった会報誌は
    デパートの催事案内とさほど変わらないものとなっていた。

    電話をいただき、慌てて例の封書を取り出す。
    そこには、私がドナー候補に選ばれたこと。これからの流れと手続き、
    移植したこれまでの事例、ドナー提供者に起こりうるかもしれない
    後遺症の例などが詳細に記されていた。

    「ほんとうに、来た!」が、まずは率直な感想。
    そして、「ちょっと、びびる」も正直な感想。

    どうも痛いそうだし
    後遺症もゼロではない、と書いてある。
    その分厚い冊子や同意書には、気軽に「イエス」と
    サインできない重みがあった。

    その夜、家族に聞いてみた。
    「骨髄バンクのドナーに適合したと連絡がきたんだけど、どうしよう?
    ねえ、どう思う?」

    すると、家族全員がほぼ同時に同じことを言った。
    「提供したい、と思ったから、あなたは登録してるんでしょ」

    誰一人として、「ちょっと心配・・・」などとは言ってくれなかった。
    おいおーい。おかげでふっきれた。

    その翌日、またコーディーネーターさんからお電話をいただいた。
    「お読みいただきましたか?同意していただけますか?
     ご家族はなんとおっしゃっていましたか?」
    「はい、家族はみんな賛成してくれました」
    「そうでしたか。半分くらいの方がご家族の反対でお話が消えてしまうもの
    ですから、安心しました。それでは早速、これからの検査について・・・」

    そうか、そういうものか……
    そして、つい職業病で、コーディネーターさんに逆質問攻めをしてしまった。
    そこでわかったのは、次の情報だ。

    ・池井戸璃花子さんの影響で現在バンクに登録している提供者は50万人を超えた。(ちなみに、2019年7月で52万人を突破。2007年1月では27万人)

    ・50万人登録していても、こうして適合者として選ばれるのは患者さん1人に
    対して10人にも満たないらしい。

    ・これまでの非血縁者間移植実施数 は23,000 例強

    ・ドナーの年齢制限は53歳。

    ・即、提供者になれるわけではなく、これから血液検査、身体検査、配偶者面談と・・・5回ものハードルをクリアしなくてはなれない。

    ・患者さんに関する、あらゆる情報は一切、提供者には知らされない。

    ・我が家の近くの病院での入院は不可で、東京か横浜の病院にこれから通う事になる。入院は3日間。

    この封書が届いてから、簡単にはドナーにはなれないことがわかった。
    おいおい、大丈夫か?ワタシ。
    だが、ここでマゾ的性格が発動する。
    50万分の10という数字にスイッチが入る。
    私でお役に立てるなら、喜んで!

    そして何より、
    娘が無事育ったことに、これは恩返しとなる気がしたのだ。

    でも実は、それからが大変だった。
    仕事を休んでは検査に。23年前とは検査方法も変わっているらしく、
    大きな注射3本分の採血をした翌日はフラフラだった。
    ある人に、「イメージコンサルという仕事で、その疲れた顔はないでしょ」
    と指摘されたのもまさにその日だった。

    先ほど大変だった、と書いたけれど、実はプラスの方が大きかった。
    検査を一つクリアするたびに、健康な体に恵まれていることを
    目にみえるデータとしても認知することとなった。
    ありがたい。

    そして、少しでも健やかな骨髄を届けたいと思うようになり、
    食事により気を使うようになった。
    睡眠時間も確保するようになった。
    知らない誰かのために、何かをすることは、いつしか 
    私の小さな喜びともなっていた。

    7月か8月に入院、と決まりかけていたときに
    また、骨髄バンクから封書が届いた。今度は薄いものだった。

    そこには、とてもシンプルに
    「患者さんの都合により、今回の移植のお話は中止となりました」
    と書かれていた。

    どんな都合なのか。
    それは一切、ドナー側には知らされないことになっている。

    そして、その手紙が届いてから、私はなんとも腑抜けとなった。
    ちゃんと仕事だけはした 。(つもり)
    でも、大切な友人との会話をプツンと途中で切られてしまったような、
    置いてきぼりにされたような気持ちと猛暑のミックスは、
    結構つらい夏となった。

    秋風が吹くようになり、いつもの私に戻りつつある。
    また、アリのようにせわしなく動き始めた。






     







  • 緑響く。

    緑響く。

    この場所を初めて知ったのは、確か高校1年生のときだった。

    あの頃は、毎日がとにかく憂鬱だった。
    いつもイライラしていて、もやもやする。
    笑った記憶もあまりない。
    楽しかった自分を思い出そうとすると、
    部活のあとに食べたアイスクリームのクジが3本連続で当たり、
    ゲラゲラと友達と笑った真夏の体育館が蘇るくらいだ。

    だから、この場所を描いた1枚の絵と出逢ったとき
    どこまでも清澄な世界に強烈に憧れた。
    その絵のタイトルが「緑響く」であり、
    描いた人は東山魁夷という人で
    同じ神戸出身であることを知って
    なんだか嬉しく思ったことをよく覚えている。
    (なぜか、どこで「緑響く」と出逢ったのか、どうしても思い出せない)

    ただ、この場所はずっと架空の場所だと思っていた。
    あまりに美しすぎたし、神様のような白馬が絵の中にいて
    遠い夢の世界のこととしか思えなかった。

    大学生となり、付き合い始めた彼から
    「クリスマスに欲しいものは何かある?」
    と訊かれ、プレゼントしてもらったのが
    東山魁夷の画集だった。
    今もその画集は私の手元にある。
    表紙はこの「緑響く」で、当時2800円。

    世はバブル絶頂期で、ボディコン、ジュリアナという言葉が飛び交って
    いる中、こんな真面目くさった(当時はそんな風潮だった)ものを
    買って欲しい、と言っても彼は笑わなかった。
    その彼が今の夫である。

    そして、その画集で、この場所は
    長野にある御射鹿池だということを知った。

    あれから30年近く経ち、実は、この場所のことも、「緑響く」の絵のことも
    あまり思い出すこともなく過ごしていたけれど、
    先日、お世話になっている方の絵の展覧会が八ヶ岳であり、
    そこに向かう途中で立ち寄ったドライブインで
    偶然、御射鹿池がすぐ近くにあることを知った。

    迷わず向かうことにする。
    車を走らせながら、妙にドキドキする。
    16歳の自分が心に半分同居し始めたようだった。

    辿りついたそこは、
    予想外に観光地として整備されたところだったけれど、
    静謐さに満ちていた。

    空に向かって真直ぐに伸びた樹々と水面に映る樹々が
    まさに緑深く、透明な音が響き合って
    世界を包み、濃厚な静寂を奏でていたのだった。

    あのとき見た世界が、実写版としてここにあった。
    かつて見た夢に会いに来たような
    不思議な感覚だった。

    なんども、私は夢の中で
    ここに立っていたのかもしれない。