カテゴリー: つれづれ

  • 恋心と色気

    恋心と色気

    今日は大好きだったあの方の3回忌。
    あの方は85歳でこの世を去っていかれたけれど、
    きっとあの世でも、プレイボーイな気がする。

    いや、プレイボーイという言葉自体が、
    もう死語か?

    さて、あの方は、毎朝PCを開くのが楽しみだ
    とおっしゃっていた。


    「どうしてですか?」
    と尋ねるとこう答えられた。

    「僕のね、PCを開くためのパスワードは8桁なんだ。
    それは、小学校から今現在まで、好きになった女性の頭文字から
    構成されているんだよ。初恋のよしこちゃんのYから始まるんだ。
    それで最後は、今、ときめいているSさん^ ^」

    「えっ、ちなみに、奥様はその8桁の中の何番目ですか?」

    「君は無粋なこと訊くねぇ〜」

    「えっ、だって・・・」

    「まぁとにかく、このパスワードを開くたびに僕は幸せな気分になるんだ」

    「それ、めんどくさくないですか?」

    「おいおい」

    「えっと・・・。わたし、片手にもならないかも」

    「まさか、君はそれだけしか恋をしてないのか?!」

    「そう言われれば、そうかも」

    「そりゃあ、いかん。なんて、色気のない人生だ」

    「うっ・・・」

    「君は、人生の楽しみを半分以上味わっていないことになる」

    「えぇ〜。そうですかね。結構楽しい人生ですよ」

    「いやいや、楽しいって言っているうちはダメだね。
    いい人生だった、って言えるように生きなさい」

    こんな話をしたのも、1月の寒い雨の日だった。

  • 因果応報

    因果応報

    チベット仏教を学びはじめて1年半が経った。
    明瞭に人生の教えが説かれていて、恐ろしいほど刺さる。

    もちろん、門前に立たせていただいたに過ぎず、
    偉そうなことは何も言えない。

    ただ、たった1つのことを知り得たことで、
    私の心に波風が立つことが減り、安らぎのときが俄然増えたのである。

    「全ては、因果応報。」
    との言葉である。

    もちろん、この四字熟語を知らなかったわけではない。
    しかし、こうわかりやすく説かれると、自分でも驚くほど腹落ちした。

    「苦しみ」は「悪業」から生じ、
    「楽」は「善業」から生じる。

    この言葉を胸に当ててみる。
    「心が苦しい」という状況は、確かに
    自分がやましいことをしている時だけに生じる。
    誰にバレなくとも、やましいものを抱えているときに
    心の安寧が訪れることはない。

    また、状況的に、経済的に苦しい
    というのは、誰にでも不意にやってくる。
    大変な苦労を抱え、時には
    死を考えるほどの絶望の淵に立つことがあるかもしれない。

    だが、どれほど大変な状況であっても、
    必ず、世は明け、日が昇るものである。
    それに比べ、自分の行動によって生じてしまった暗闇は
    どれほどの晴天に恵まれても、完全に消えることはない。


    また、「善業」というと大層なもののように聞こえるが、
    シンプルにいうと「利他の心」になる。
    自分より、誰かのお役に立つことを喜びとして過ごしていると、
    結果として、自分に「楽」がやってくるというものである。

    決して自分を犠牲にして誰かのことを優先せよ、
    というのではないのでご安心を。

    50年も生きていれば、
    真の喜びは、自分のことだけを考えていては
    やって来ないことがわかる。

    自分の目標達成だけを追い求め、何かを得ても
    そばで、遠くで、喜んでくれる人がいない限り、
    人は心からは幸せにはなれないのである。

    いいことをしてると、いいことがやってくるよ。
    わるいことをしてると、苦しい思いをすることになるよ。

    いたって教えはシンプルである。

  • 根府川駅。降り立ってみたかった場所へ。

    根府川駅。降り立ってみたかった場所へ。

    「いつか、この駅に降りてみたい。」
    そんな風に、気になっている『駅』はありませんか?

    私にはありました。神奈川県小田原市にある東海道線『根府川駅』。海を見ながら熱海に向かう電車に乗る度、いつも人影がまったくない根府川駅が気になって仕方がありませんでした。しかも、きっとこのホームからは海が最高のロケーションで見えるはず。そんなことをずっと思い続けていました。

    「降り立ったら、どんな匂いがするんだろう。
     降り立ったら、何が見えるんだろう。
     降り立ったら、駅の周りを歩いてみよう・・・」

    そんなことをいつも思いながら、根府川駅で降りる機会も理由もなく、この駅を通過していたのでした。

    ある日の夕方のことです。仕事でとっても嫌なことがありました。女性が男性社会の中で仕事をしていると、ときどき梯子をはずされるような経験をすることがあります。女性の嫉妬はとてもわかりやすいものですが、男性の嫉妬は面倒なもので、ニコニコ笑いながら、やさしい言葉をかけながら、うまみある成果をいつの間にか全部、ある人が持って行くという体験しました。どこかうさん臭い人だな、と薄々わかっていたのに、それを自分の中であやふやにしていたことが、より一層自分を腹立せたのです。いつもなら東京駅からは横須賀線に乗るのですが、改札でSuicaをタッチした瞬間に、「行ってみよう! 根府川」と思ったのです。ですからこの日は東海道線に。自宅近くの大船を過ぎても乗り換えず、そのまま揺られ続けました。東海道線も茅ヶ崎、平塚を過ぎるころから少しずつ空気感が変わっていきます。大磯を通過するころには、完全に時計の針の進み具合が変わってきます。時間は心持ち次第で伸び縮みするようですが、それは本当なんだなと思います。

    ふと、「行ってみよう!」

    そんな風に思い立って人が旅にでるときは、なにか嫌なことがあったときか、何かを成し遂げて、よしっ! と自分にOKを出したときのような気がします。それにしても、行った先が根府川ですから、かわいいものです。「ちいさいなぁ、自分」と笑ってしまいます。ちなみに東京駅から根府川駅までは東海道線で94分。根府川は真鶴の1つ東京寄りです。

    降り立った根府川駅は、秋の気配が濃くなってきたというのに草の匂いがしました。夕焼け色に染まる海と、やわらかなピンクと深い青がまじわるような空。ホームからは、海と空が溶け合って1つの世界となり、目の前にどこまでも広がって見え、全身まるごと潮の香りに包まれました。大きく、深呼吸。心の中にあった重たいものが、すっーと外に溶けでていくような気がしました。

    駅では数人の人が降りたったものの、ホームでぼっーとしていたら、すぐに一人ぼっちになりました。改札は無人。ちょっと駅を出て歩いていましたが、静かな住宅地が広がっていてコンビニをみつけることもできませんでした。ベンチに座り、何本か電車を見送りました。こんな静かな駅にいると、行き交う電車にはたくさんの人が乗っていることが、とても不思議な気がしました。

    帰宅すると、家族から「今日はなにかいいことあったの?」と聞かれました。自分を空っぽにする。そんな時間が、だれにもときどき必要です。それには、ずっと気になっている、そんな場所に行ってみるのが1番です。